ASEAN加盟国の総人口は6億超とEUを上回り、2020年には世界第4位の経済規模になるといわれています。2015年にASEAN域内の貿易自由化や市場統合などを通じて成長の加速をめざすASEAN経済共同体(AEC)が発足。一方で、中国との関係、域内における開発格差、政治体制の違いなど懸念材料もあります。ASEANが抱える課題や今後の展望について、シンガポール国際企業庁副長官チュア・テック・ヒム氏に伺いました。
シンガポール国際企業庁副長官
1955年生まれ。1977年東京大学工学部電子工学科卒業、
1983年カナダ トロント大学にてMBA取得、
1999年ハーバードビジネススクールにてAMP修了。
1998年シンガポール経済開発庁産業開発局局長、
2002年経済開発庁副長官に就任し、2007年より現職。
また、駐日シンガポール大使館経済参事官(1985〜1992年)、
世界銀行産業構造戦略委員会アドバイザー(2009〜2012年)などを歴任。
現在は、国際企業庁投資ホールディング副会長、アジアインフラ融資機構(AICOE)会長を兼任。
シンガポール政府系会社や、国内外の多数の民間企業で役員などもつとめる。
白井:長期にわたり2桁の経済成長率を続けてきた中国経済が減速しています。「ニューノーマル(新常態)」を掲げる中で成長率が6%台まで低下し、ASEAN(東南アジア諸国連合)にも影響が出ています。ASEAN経済が今後も持続的な成長を続けるための課題について、どのようにお考えですか。
チュア:現在、ASEAN加盟国の総人口は約6億3,000万人、名目GDPの合計は約2兆5,000億ドルです。世界のGDPに占める割合は3%程度ですが、2020年には米国、中国、日本に次ぐ大きな経済圏になると予測されます。これまでの経済成長を今後も継続すれば、2030年には日本を上回ることが確実です。少なくとも今後5年間は、年5%以上の成長率を維持できるでしょう。ASEANは今、とても勢いがあります。海外からの投資も活発であり、世界から成長率の高い経済圏とみられています。実際、ASEAN域外からの2014年の投資はおよそ1,300億ドルで、外国企業からも有望な投資先と考えられています。ASEAN域内のインフラ整備に伴い、中間層が増加し消費活動も活発化しています。
中国経済減速による影響を考える上で、最初に抑えておきたい点は、ASEANはEUとは明らかに違うということです。ASEAN各国は産業構造も発展過程も異なります。シンガポール、マレーシア、タイなどすでに経済開放している国もあれば、ベトナム、ミャンマーなど発展途上にある国もあります。これらの国々が中国経済の減速によって、どのような影響を受けるのかについては一概にはいえません。ミャンマーにとっては中国は最大の投資国ですが、フィリピンにとってはそれほど大きくありません。しかし、程度の差こそあれ、ASEAN各国は今後外資に頼る割合が高くなることは確実です。現在、中国からの投資は域外からの直接投資全体の17%程度と高くありませんが、2010年の5%に比べれば高くなっています。5年先も現在のペースを維持しながら伸び続ければ中国の存在はますます大きくなります。
中国経済の減速への対応としては大きく二つの戦略が重要になるでしょう。一つ目は、ASEAN加盟国間の貿易と投資を促進することによる成長です。現在、加盟国の貿易依存率は約18%で、高くも低くもない数字ですが、今後は伸びていくでしょう。
もう一つは、中国を除く従来の投資国、例えば日本、米国、欧州各国へのアピール強化です。ASEAN各国は自国の投資先としての魅力を再検討する必要があります。自国の力と外資の力を活用し、各国がそれぞれ差別化を図りながら成長していくことが必要です。投資国に対してASEANの特色をうまく表現していければ高い伸び率を実現できるはずです。
白井:中国は投資先としても大変魅力的な国です。米国に次いで世界第2位の経済規模があって、成長率が低下したとはいえ6%台で成長する国は他にありません。
チュアさんがおられるIES(シンガポール国際企業庁)は、シンガポール企業の海外進出を支援する役割を担っています。投資先としての中国の今後の可能性については、どのようにお考えですか。
チュア:中国経済はモメンタム(質量と速度)を見なければいけません。成長のスピードは減速したとはいえ、大国ゆえにまだまだ勢いがあります。世界水準からみて6〜7%の経済成長率はまだ高いといえます。
国土も広く、産業構造の幅も広がっています。例えば、アリババの本拠地である杭州市は、経済成長率が10%以上と高く、新興企業やベンチャー企業が数多く生まれています。国家中心都市の一つで、「国の工場」といわれる重慶市も、製造業、サービス 業、物流など、あらゆる分野が伸びており、昨年の経済成長率は11%でした。一方で、重工業中心の東北部は、マイナス成長になっています。こうした地域間ギャップをシンガポール企業が埋める役割を担うことができればと思います。
ただし、中国は対外開放政策以来、国内企業が力を高めており、競争が非常に激しくなっています。インターネット産業の変化スピードもかなりのものです。米国にはアマゾン、グーグル、アップルがありますが、中国にはアリババ、バイドゥ、シャオミがあります。重厚長大産業の鉄鋼などもありますが、インターネット産業が急成長しています。中国経済は減速していますが、世界経済を動かす原動力の一つであることに変わりはありません。
中国で成功している外国企業は、中国の事情や状況を理解した上で、うまく事業モデルをカスタマイズし、対応しているところが多いと思います。
白井:チュアさんが指摘された通り、ASEANは世界の成長エンジンとして、EUとは違う形で中長期的に成長していくと思います。一つのメルクマールが2015年のASEAN経済統合でした。実際にスタートしてすでに変化が見られるのか、またこれからどのような発展が期待できるでしょうか。
チュア:現在、経済統合はAEC(ASEAN経済共同体:ASEAN Economic Community)で着実に進んでいます。加盟国の中でも早くから参加したシンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、ブルネイの6カ国間ではすでに貿易品目の99%の関税を廃止しています。これ以外の国でも、今後3年間で99%程度の自由化が実現するでしょう。ASEANの経済統合の進展スピードは非常に速いと思います。
モノの貿易だけでなく、サービス貿易も同様です。「ASEANサービス枠組み協定(AFAS:ASEAN Framework Agreement on Services)」は10回の包括交渉のうち、9回がすでに完了しており、外資資本比率制限の撤廃などは100前後のサービス分野に適用されています。 投資については、「ASEAN包括的投資協定(ACIA:ASEAN Comprehensive Investment Agreement)」に基づき、分野ごとに自由化していきます。投資に関する手続きの透明性向上、法的保証など環境整備を進めています。
ASEAN経済統合のメリットの代表例として、ASEANオープンスカイ協定による航空自由化が挙げられます。域内国で航空便が自由に行き来できるようになり、人的交流、物流に関わる全ての接続性が向上します。その他、観光産業、eコマースなどでも、これ までになかった新しいサービスが大きく伸びています。関税撤廃、非関税障壁の削減・撤廃、税関手続きの標準化、企業間の協力など、さまざまな角度から連携が進んでいます。自由化優先項目の93%がすでに実現していることから、こうした方針が各国の高い支持を得ていることがうかがえます。ASEAN各国の共同競争力というコンセプトを皆が信じ、守っていくことで、経済成長をめざしています。
白井:ASEAN域内には、先進国の中でも1人当たりGDPの高いシンガポールから、ミャンマー、カンボジアなど、まだ貧しい国まであります。シンガポールは金融、サービス産業中心に経済構造を転換しています。タイ、マレーシアは製造業の基盤を確立し、経済発展を続けてきました。インドネシア、ベトナムなど、今後伸びる国もあります。このダイナミズムがASEANの魅力です。常に先頭を走ってきたシンガポール、マレーシア、タイは、今後ASEANの中で、役割、産業構造をどのように変えていくのでしょうか。
チュア:シンガポールは、地理的にもASEANマーケットの中心にあります。ASEAN経済が伸びれば、地域本社、経営管理センター、研究・技術開発のイノベーションセンターとして間違いなく伸びます。もちろんASEAN経済の発展とともに、果たすべき役割は変えていかなければなりません。
eコマースが世界的に広がっていますが、ASEAN地域でeコマースが拡大すれば、物流、金融機能が当然必要になります。シンガポールはあらゆる分野のハブとして、ASEAN経済の拡大に伴いその恩恵を受けています。
日本企業から見れば、シンガポールは製造業、とりわけ労働集約型産業の魅力は低いと思います。しかし、高度な技術を要する付加価値の高い産業、例えば航空機エンジン、医薬品製造など、高度製造業への移行を推進しています。
シンガポールはASEANの中で経済的に最もオープンで、文化的にも多様性があり、中国系、マレーシア系、インド系の人々が暮らしています。市場のニーズに対応できる条件をいちばん備えている国です。
シンガポールは中国に対し、2年連続で最大の直接投資国になっています。今年はインドに対しても最大の直接投資国となり、日本にも投資しています。資本輸出国としての地位も確立しつつあります。資本を提供することで、情報、知識、人材、金融、あらゆる機能を集結することができます。周辺国との連携も経済戦略の一つです。シンガポールは小さい国ですが、オープンエコノミー、経済開放によって今後も伸びていくはずです。
白井:マレーシアやタイも、シンガポールのようになりたいのではないでしょうか。
チュア:競争は自由であり、差別化を図るのは良いことです。ASEAN各国はそれぞれの強みを持っており、シンガポールにない分野もたくさんあります。例えば、シンガポールは天然資源がなく、土地も広くないため農業は活発ではありません。10カ国が均一ではないことがASEANの特徴であり、この多様性こそが魅力です。それらを統合、調整し、まとめるのがシンガポールの役割の一つだと考えています。
白井:ASEANの中で成長フロンティアとされるCLM(カンボジア、ラオス、ミャンマー)諸国について伺います。潜在的な成長力が高いのは多くの人が認めるところですが、一方で、さまざまな課題があってこれまで十分成長できなかったのも事実です。AEC発足で域内国との結び付きが強まる中で、CLM諸国の成長率は加速するでしょうか。
チュア:CLMにベトナムも加えてCLMVと考えるとよいと思います。1人当たりGDPが5,000ドルを超えれば、国の構造はかなり変わります。消費が増加すれば経済は活性化します。経済成長ではベトナムが先行し、次にミャンマーが続きます。ラオス、カンボジアはこれまでタイに依存していました。ラオスは水力発電による電力をベトナム、タイに輸出しています。ラオスとカンボジアは、おそらくベトナムとミャンマーの成長に引っ張られていくでしょう。海岸線を持たないラオスも経済を伸ばすことは確実です。
シンガポールは、1993年にベトナムに工業団地第1号をつくり、今は南部、中部、北部に8カ所あります。昨年のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)合意に伴いベトナム経済の潜在的な成長力に注目が集まりましたが、海外企業の工場進出に必要なインフラ整備はすでにできています。ベトナムに工場進出しているシンガポール企業も数多くあります。同様の状況は、いずれミャンマーや他の国でも起こるでしょう。それほどCLMVには大きな魅力があります。
課題は、これらの国が物流で連携していけるかです。コネクティビティを高めることで、経済発展のスピードもかなり変わると思います。日本企業はミャンマーでティラワの工業団地を開発していますが、シンガポールはチャンギ空港のコンソーシアムがヤンゴンで飛行場をつくっています。インフラ整備は速いペースで確実に進んでいきます。近い将来、市場としてASEAN全体の魅力が高まることは確実です。しかも、ベトナムやミャンマーの成長ペースは、インドネシア、フィリピンが対外開放した当時の成長スピードより速いでしょう。
白井:ASEANの周辺には成長している国が多くあります。中国の他にインド、バングラデシュ、スリランカなどです。これからRCEP(東アジア地域包括的経済連携)が合意すれば、これらの国がFTA(自由貿易協定)で結ばれる可能性もあります。ASEANが周辺国の成長力を取り込むにはどのような課題が考えられるでしょうか。
チュア:RCEPには日本、韓国、中国、インド、ニュージーランドも含まれます。ASEAN10カ国だけでも発展過程に違いがあります。ASEAN諸国との発展段階の違いが補完関係をもたらし、アジア全体の経済の伸びにもつながります。サプライチェーンだけでなく市場のつながりも強くなり、その相乗効果がRCEPの大きな魅力です。
課題は、参加国が多く、しかも各国の産業構造、規制、政策、考え方が違う中で、互いの国内事情、政治的な考え方、政策格差をいかにうまく乗り越えていくかでしょう。ハーモナイゼーションの考えが重要であり、各国が協力し合う意識を持たなければなりません。国家間の利害調整をどれだけうまくできるかがRCEPの経済効果を左右するでしょう。
白井:AI、IoTなど技術革新が進んでいます。これまでは、まず米国、日本など先進国で市場が広がり、その後、新興国、発展途上国に広がりました。今はeコマースやフィンテックがインドネシア、中国、アフリカなどで広がりを見せています。金融インフラが整備されていないがゆえに、最新技術を真っ先に取り入れるという逆転現象も起こっています。フィンテックに限らず、AI、IoTなどデジタル技術を社会の中でどう活用してくかは大変重要です。ASEANが技術革新の成果を生かして成長を加速させることは可能でしょうか。
チュア:デジタル経済はASEANの経済成長の大きな原動力になると思います。AIやIoTは間違いなくその一つで、現時点でも観光、ツーリズム振興の情報提供に関わるインフラ整備は進んでいます。データセンターや通信機能の整備も急速に進んでいます。2、3年ほど前までミャンマーでは携帯電話が通じませんでしたが、今や普及率は90%以上です。ベトナムでも中間層でインターネットが利用されています。ASEANではeコマースやインターネット技術の応用開発などが可能な状況になっています。分かりやすい例が、世界で注目を集めている米国の配車サービスUBERです。シンガポールでも同様のサービスとしてGrab Taxiが急成長しています。世界の最新技術はASEAN域内でも活用されているのです。今まで技術を持たなかった国が先行導入するケースもあります。これは新技術導入の際、障害となる既存のシステムがないからです。IoTに関する情報を新聞やニュースで見る機会が増え、新しいスマートシティをつくりたい、新しいインターネット技術を活用したいと考えるようになってきました。
フィンテックもASEANの経済成長を支えるコンセプトの一つです。シンガポールでは金融分野を中心に、応用開発を広げています。ASEANでは、携帯電話の口座を持つ人が銀行口座を持つ人よりはるかに多くいます。最新のサービスへの信頼が高く、フィンテックもASEANの人々は自然に受け入れます。アフリカのケニアでも携帯電話での送金、貯金が進んでいますが、ASEANではさらに速いペースで普及していくでしょう。シンガポールテレコムなどは、フィンテックを未来産業とする構想もあります。シンガポールにはフィンテック関連の企業が現在200社以上あり、世界 の企業がシンガポールに拠点を置き、応用開発しています。
白井:従来の常識では、銀行口座を作らなければ金融サービスが受けられませんでした。ところが、例えばインドネシアでは銀行口座を持っていない人が人口の半分以上いるにもかかわらず、携帯電話を持っていれば、銀行口座がなくても送金できるようになっています。完全に発想が逆転しています。フィンテックのインフラやサービスは、シンガポールがリードする形でASEAN全体に普及していくのでしょうか。
チュア:そうですね。ただ、シンガポール政府は、フィンテックには大きなリスクもあると考えています。政府も企業も新たな産業として育成、振興に取り組んでいくことが重要です。シンガポール中央銀行も政策によって、多くの企業がフィンテックを実験的に利用できるシステムを作っています。金融システムはうまく構築、運用しなければリスクを生み、消費者に影響を及ぼします。金融革新のためには、やはり実験的な段階から慎重に取り組まなければなりません。
シンガポールは、すでにフィンテックのテストフィールドの場になっています。政府は世界の金融システムに関わる課題をフィンテックで解決するイノベーション開発に力を入れています。企業から技術をうまく取り入れ、フィンテック開発に応用することがカギを握ります。シンガポールがリードしていますが、ASEAN各国も前向きに取り組んでいます。新しいビジネスモデルや技術が生まれることも十分考えられます。
白井:昨年合意したTPPについては、ASEANの中でシンガポール、マレーシア、ベトナムのようにすでに参加している国と、タイ、インドネシアのようにまだ参加していない国があります。AECとTPPが並行して進んでいくわけですが、ASEAN各国はどのように対応していくのでしょうか。TPPに参加する国が増えるのか、あるいは、TPPとAEC両方に参加する国、一方だけの国が存在する形で進むのでしょうか。
チュア:それぞれの国は利害を検討している状況だと思います。国により政策の違いはあります。例えばベトナムは、米国への輸出を増やしたい、TPPに加盟していない中国ともっと親密になりたいと考えています。TPPとAECの参加判断は国によって異なりますが、そうだとしても、経済を自由化し、国を成長させるという考えと矛盾はないと思います。ただ、TPP、AEC両方に参加したほうがスムーズに経済発展していくと思います。
長期的かつ安定的に国の成長を継続させるためには経済開放は効果的です。経済開放を持続できなければ最終的に自国の競争力が落ちるため、ASEANに自由経済を定着させようとしているわけです。ただし、自国に合ったグループに参加することは重要です。実際、あるグループに入り、他のグループには入らないとしても経済を開放していく考えとの矛盾はないはずです。
白井:ASEANの西には、大国インドがあります。中国経済が減速してきたこともありますが、2015年はインドの経済成長率がついに中国を超えました。ただし、中国がインドと同程度の経済規模だった時代は成長率が10%以上だったことを考えると、インドは本来の力をまだ発揮していないとも考えられます。将来はインド周辺国を含め、特に海洋のつながりで“インド洋経済圏”ができるという声も聞かれます。ASEAN側からみて、インドとその周辺国の成長をどのように展望されますか。
チュア:インドのモディ首相は、開放政策をはっきり示しています。自ら外資を誘致する姿勢も見られ、何度も中国、米国などを訪問しています。経済自由化、スマートシティ開発も推進しています。インドは大国ですから急速な開放は困難ですが、世界市場を見据えた動きは着々と推進しています。
インドとバングラデシュ、パキスタン、スリランカなど南アジアの周辺国は政治的な要素が入るため協調は難しいでしょうが、南アジアはASEANにとって重要な経済圏です。飛行機ならシンガポールから3時間半〜5時間で行ける距離です。シンガポール、インド間の就航数は1週間当たり600便以上あります。おそらくインド、中国間の約5〜10倍です。シンガポールには南アジアからの移民が全人口の7%程度暮らしており、昔から文化的なつながりもあります。最も密接な経済圏であることは確かです。
シンガポールにあるインド企業は現在約8,000社あります。シンガポールが直接投資する国としてはインドが最大です。インドの工業団地、発電所、港、通信など、全てのインフラ開発に投資しています。eコマースも非常に活発です。インド経済が成長していけば、ASEANとの連携が一層進みます。経済成長の相乗効果はかなり期待できます。
白井:英国の離脱もあり、EUが苦しんでいます。ドイツを除く国は経済も苦境にあります。ASEANからEUの現状をどのように見ておられますか。
チュア:EUは経済だけでなく通貨も統一するなど野心的な統合をしました。国による経済構造の違い、所得格差がありながら、通貨を統一すれば不均衡が生じます。加えて、短期間に加盟国を増やしたために、国家間の格差が統合に影響を及ぼしています。一部の社会政策についても統合しました。今大きな問題となっている移民政策は代表例ですが、国民に直接影響が及び、逆効果になってしまいました。
ASEANはスタート地点が違いますし、野心的な経済統合でもありません。プラス面を重視して確実な経済効果をめざし、政治的な問題もうまく考慮しながら進めています。
ミャンマーがASEANに参加することを他国が批判しても、ASEANは加盟を認め、ミャンマーは軍事政権を崩さずにきました。各国の主権を尊重した上で、加盟を促してきたのです。
ASEANは格差を認識し、ペースを調整しながら、統合すべきことは統合し、難しいところは時間をかけて議論と調整を進めています。ASEANがEUのようなステップを踏まなかったことは先見性があったのかもしれません。
白井:中国は非常に重要なマーケットですが、突然のルール変更や国産化など、政策が大きく変わるリスクもあります。その点、ASEANへの投資は安心できるように思います。これまで日本企業がASEANに貢献できたこと、できなかったことはありますが、これからASEAN側が日本企業へ期待することは何でしょうか。
チュア:日本企業は、伝統的にハードウエアが強く、ソフトウエアが弱い。ソリューションが比較的弱いことは確かです。日本企業は、顧客と接触して、その需要に応じて設計していく部分が弱いと思います。標準型のモノを作り、機能が優れ、品質が良く、デザインが良い、それで顧客が購入してくれるというハードウエア主体の考え方はもう時代遅れです。今の経済はアプリケーション、つまり応用力が求められます。顧客のニーズにいかに短時間で対応できるかが重要です。顧客の多様化が進み、それに対応できる技術はそろっています。日本企業は新しいビジネスモデル、プラットフォームを作っていかなければなりません。例えばアップルのような事業は以前から日本企業もやっていました。ただ、他の企業でも応用できるようにオープンなプラットフォームにしなかったため、経済効果が出にくかったのです。ASEANや中国で も、労働賃金の安さを求めて渡り鳥のように動く旧来の日本企業の考え方では通用しません。どの国も自国の政策を持ち、それぞれの条件を打ち出し、以前より存在感を高めています。日本企業は、ASEAN市場をイノベーションの場として捉えるとよいと思います。いかにアイデアを出し実行していくかを考えていく。日本企業がやらなければ、中国企業、ASEAN各国の企業がやるでしょう。そう考えると、やはり日本企業は従来と同じ絵は描けません。ASEANでは何ができるのか、ASEANは何を求めているのかを考え、そこから双方が発展するチャンスをつかんでいけると思います。
90年代に、私は経済開発庁に在籍し日立と共同で中国に投資したことがあります。シンガポールは中国で工業団地をつくった経験があり、シンガポールと共同なら、ということで日本企業も中国へ進出しました。今は当時とは違い、それぞれの国の進出の条件、環境は異なり、それぞれの事情に対応しなければなりませんが、どのようにアジアの企業と競争、連携していくのかで得られる成果が変わると思います。
日本はイノベーションの力が強い国です。イノベーションは、マーケティングの力と企業の技術力の両方がなければ生まれません。技術力があっても市場分析ができなければ実現しないのです。
インターネット社会は、ソリューション、プラットフォームの社会で、国や企業と連携しながら、時代に沿った新たな仕組みを整備しなければ勝てません。日本企業に必要なのは、戦略的なパートナーシップです。日本企業はパートナーシップがあまり得意ではないため、さまざまな可能性が縮まってしまう。今後、ASEANだけでなく中国に対しても、ビジネスモデル、プラットフォームをカスタマイズ、ローカライズし、対等のパートナーシップ構築に力を入れ、成功につなげることが必要です。
白井:チュアさんはさまざまな国と仕事をされているので、大変国際的な感覚をお持ちです。日頃から大事にされている信条をお聞かせください。
チュア:私にとって一番大事なのは、正しいことを正しく行うことです。そして、正しいことを行うために、まず実験することです。革新的なものは実験から生まれます。テストして失敗したら、修正すればよいのです。
一方、間違ったことを正しく行うと、自殺行為になります。何が正しくて何が間違っているのか、その判断力がカギです。何が正しいかを判断するには、やはり観察力や方向性を見極める力などの基本的要素が重要です。
複雑な社会の中では課題も複雑化し、何を基準にすれば良いのか、何をやるべきなのか分からなくなることがあります。そういうときは、もう一度原点回帰する。人生の正道に戻り、再度判断します。“Doing right Things right”。考えるだけでなく、実行することが大事です。実行能力も加えなければいけません。経済政策も同じです。正しい政策を打ち出しても実行できない場合、それが戦略的に間違っていると理由付けて修正してしまったら、それで終わってしまいます。正しい戦略、それを実行する能力、ストラテジック・パースペクティブというコンセプトを持って取り組むことが大切です。
白井:「正しいこと」は基本的に国が変わっても共通ですね。
チュア:その国にとって何が正しい政策なのかは、皆理解しているはずです。では、なぜ実行しないのか。例えば、オープンにすればよくても、なかなかオープンにできない。ならばオープンにできないところを解決すれば良いのです。実行できないから悪い政策だと考えるかもしれませんが、本当は正しい政策で、その戦略は間違っていない。判断力、観察力が必要とされます。
今はオープンイノベーションの時代です。日立は研究開発に強い会社ですが、イノベーション社会では、一番良い研究開発をどのように取り入れるかが重要です。他企業が行っていることは正しいのか正しくないのか。それを判断する能力がないために、自分がいつも正しいと分析してしまい、これを継続するケースもあります。イノベーションの領域では、場合によってはコンセプト、マインドを変えなくてはなりません。
先ほどの“Doing right Things right” には、do、rightなど言葉の 一つ一つに深い意味があります。それをベースに仕事をすれば、自分をガイドできると思います。
白井:「正しいこと」を実行するに当たり、方法は変われども、そもそも正しいことを前提に取り組めば間違うことはないですね。
チュア:そうです。正しいことは、実行力があればできます。ただ、間違ったことを正しく行えば大変なことになります。仕事に慣れてくると同じようなことを繰り返しますが、その考え方、やり方は時代遅れかもしれません。時代が変わっていることに気付かない人は大勢います。
シンガポールも日本もそうですが、過去30年、40年と続いてきた成功モデルがこれからも通用するとは限りません。むしろ邪魔になる場合もあります。それを捨てられるかどうかなのです。日本の場合は失われた二十数年がありますが、シンガポールも同じ道を歩む可能性があります。成功体験が長く続いているから、同じやり方でうまくいくと考えれば間違いなく失敗します。ある日突然企業が消えてしまう、今は、それほどリスキーな時代なのです。
白井:本日は貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。
今回は、シンガポール国際企業庁副長官でありますチュア・テック・ヒムさんからASEANが抱える現在の課題や今後の展開についてお話を伺いました。ASEANが今後ますます成長していくためには、参加国の貿易・投資を促進していくことや、周辺国の成長力を取り込んでいくことが重要であり、そのためには国家間の利害関係をうまく調整することが必要と伺いました。また、顧客の多様化が進む中において、日本企業には地域の条件を受け入れながら事業を展開していくための応用力が求められているというお話は非常に示唆に富むものでした。
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