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社長 溝口健一郎のコラム

第16回:ワシントンのスペクトラム

    一年ぶりにワシントンを訪問した。ワシントンは非常に幅広い世界のスペクトラムを凝縮して見ることのできるプリズムとして機能するようだ。今回も、米国政治の現状や世界の地政学情勢に関して多面的な議論をすることができた。

    トランプ大統領は、就任以来矢継ぎ早に政策を進め、そのスピードと厚みで世界を驚かせている。その発信力も健在で、就任以来の1カ月で1,009回メディアの質問に答えたという。同期間にバイデン大統領は141回、オバマ大統領は161回であった。新大統領がいかにメディアの注目を集めているかが分かる。政策の多くは選挙中の公約に沿ったものであるものの、アメリカファースト実現のために繰り出す政策の矛先が友好国に多く向けられていることに驚き、批判する人は多い。カナダとメキシコに対して高関税で譲歩を引き出し、メキシコ湾をアメリカ湾と改称すると宣言し、デンマークにグリーンランドを割譲しろと迫り、パナマ運河を取り戻すと恫喝(どうかつ)している。2月24日の国連総会では、ロシアに対してウクライナからの即時撤退を求める決議に米国は反対票を投じ、ロシアや北朝鮮と同じ側に立った。USAIDを実質閉鎖として、国外への援助の多くを中断させている。バンス副大統領はミュンヘン安全保障会議で欧州の民主主義の在り方を批判した。トランプ政権は自由主義を掲げる欧米の団結を決定的に崩し、米国の国際的孤立を招いている。米国は今後弱体化してしまうだろう。

    いや、そうではないとの主張も多い。米国の国際関与や西側自由主義陣営の盟主としての振る舞いは、1933年に就任したフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)大統領以来のことに過ぎない。それまでの米国は建国以来ずっと孤立主義であり、その時代には世界のルールは国と国とのパワーバランスが全てであった。トランプ大統領は、自由や平等といった価値観で国家間をつなげるガバナンスから、力によるガバナンスに移行を進めており、新しい国際秩序の建設を実現しつつあると言える。世界におけるグレートパワーは、米国と中国とロシアのみであって、その他の国々はグレートパワーのような影響力や指導者を持たない小国に過ぎない。メキシコやカナダは米国を直接的に支えるか、あるいは米国の一部になるのが当然であろう。米国という世界最高の市場に参加したい国はそれなりの関税を払うか、米国に直接投資すべきである。個別の適切なディールの積み重ねによって世界の秩序は保たれ、戦争は回避される。実際、ロシア・ウクライナ戦争は停止する可能性が高まっており、中東における紛争も沈静化に向かいつつある。トランプ大統領は、新たな世界秩序を生み出すという点では、FDR以来の偉大な大統領になるであろう。

    民主党はアイデンティティクライシスにある。大統領選では大敗北を喫したが、これはバイデン大統領が不人気だったからだけではなく、民主党が国民から決定的に離反してしまったことによる。本来は労働者に寄り添う党であったはずが、いつの間にか高学歴高収入のエリート層の党になってしまった。左派が優先するアジェンダはDEIや環境問題であって、労働者の日々の生活には興味が無い。女性の妊娠中絶の権利拡大や移民の受け入れを進め、保守的傾向が強いヒスパニックや黒人の反発を招いている。民主党内の左派と穏健派は分断しており、党をまとめるリーダーも不在で、民主党は今後長期間にわたって凋落(ちょうらく)を続けるであろう。

    いや、そうではないとの見方もある。カマラ・ハリスとドナルド・トランプの得票差は1.6%ptに過ぎず、極めて僅差であった。バイデン大統領がもう少し早く引退を決めていれば結果は逆であったであろう。また、インフレがここまで続いていたことも大きい。結局経済が大統領選を左右するというテーゼは変わらないということだ。オバマ大統領が当選した際には、国民の圧倒的支持は民主党にあり、今後白人の人口が減っていき、リベラルな傾向の強い次世代の選挙民が増えていく中で、もはや共和党は復活できないであろうと言われていたではないか。今回も同じで、誰もが現在の傾向が継続するというバイアスに支配されがちだが、実際は選挙行動パターンが振り子のように振れるサイクルの中にある。どの国でも同じだが、選挙民は現政権に飽きやすく、経済面での不満から政権の交替を望む。4年後も同じだろう。

    トランプ大統領はよくtransactionalだと評される。場当たり的で刹那的。全てを売り買いのように業務的に処理をしていく。確かに、相手の反応を見て反射神経で決断を下すディールメーカーとしてtransactionalである。しかし、彼が引き起こしている変化の多くはtransformationalであり、多くの構造的変容、不可逆的変化を世界にもたらしている。4年後にトランプ的人物(FDRのようにトランプ自身が三選?)が大統領にならなくとも、米国民が二度にわたってトランプ大統領を選んだという事実から、欧州諸国は今後二度と米国をかつてのような自由主義陣営の盟主と仰ぎ見ることはないであろう。価値による秩序の探求が消えることは無くとも、力による秩序を絶えず計算軸に入れる時代が続く。世界中で軍事力拡大のための投資は増大し、資源の獲得は国家にとって最重要課題となる。気候変動対応の優先順位は後退し、自然災害の規模と頻度は拡大するであろう。AIをはじめとする先端技術は国家間競争における重要なツールとなり、輸出入管理と開発人材の獲得競争はより厳しくなっていく。ワシントンのプリズムはこれからもずっと忙しく輝き続ける必要がありそうだ。

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